ていねいにスラスラと

おかだ式計算プリントシステムの開発者のつぶやき

「私」という言葉の二重性

4月29日は昭和天皇の誕生日です。私の人生は、まだ平成より昭和の方が長いので「昭和の日」より「天皇誕生日」の方がしっくり来るのですが、今の天皇誕生日は12月23日ですからね。

 

昭和天皇は、日本国が満州事変を始めたときの天皇ですから、戦争と平和の問題では当事者で、こらからの時代を考える上でも重要人物と言えそうです。けれども私にとっては、哲学者のルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインが亡くなったことの方が、4月29日の意味は大きいです。

 

同じく哲学者の永井均氏の「ウィトゲンシュタイン入門」によると、ウィトゲンシュタインの主題の一つが「私という存在の不思議」にあったようです。

 

言葉としての「私」という単語が表すのは、普通は「話し手」のことです。太郎さんと花子さんがはなしをしているとすれば、太郎さんが言う「私」は太郎さんのことで、花子さんが言う「私」は花子さんのことです。このブログでの「私」は岡田康之(おかだやすゆき)のことであり、あなたのことではないし、あなたが言う「私」はあなたのことであって岡田康之ではない。

 

あなたも私もこの地球上に存在する数多くの「私」のうちの一人ということですね。ところが私にとっての「私」は太郎さんでも花子さんでもあなたでもなく岡田康之以外の何者でもありません。そしてこの身体を持った「私」が岡田康之である必然はどこにも無い。

 

「これは大問題だ!」と、永井さんもウィトゲンシュタインも私も思っているようです。

 

あなたも「そんなことどうでもいい」と言う人かもしれません。

 

しかし私にとっては頭から離れがたい問題なので、4月29日は昭和天皇が生まれた日以上にウィトゲンシュタインが亡くなった日なのです。

 

こんな日は日本酒が欲しい岡田でした。