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集中力・処理能力・判断力を鍛えるおかだ式

開発者=岡田康之(おかだやすゆき)のつぶやき

宿題を完璧に仕上げてはいけない

学校の宿題でも、仕事上の課題でも「全部出来てしまった」とすると、それは大問題です。どんな課題でもより深く追求することはいくらでもあるからです。

 

今日は、古人の教えから考えてみましょう。

 

 

論語の中に

 

知之為知之、不知為不知。是知也。

 

という言葉があります。

 

書き下し文にすれば

 

「これを知る」を「これを知る」となし

「知らざる」を「知らざる」となす。

これ知るなり。

 

私が現代日本語にすると

 

知っていることは知っている
知らないことは知らないと

はっきりと自覚することが

智慧があるということなんだよ。

 

ということです。

 

学校の宿題を全部正解で埋めようとすることは、よく知らなかったことを良く知っていたこととして偽(いつわ)ることです。本当は智慧がないことを告白するようなものです。

 

実は、解答欄に「正解」を書いたところで、それはよく知っていることの証(あかし)にはなりません。往々にして、ただ解答をうつしてフーンと思っただけのことにすぎないからです。

 

 

これに関連して老子にこんな言葉があります

 

知不知上。不知知病。夫唯病病、是以不病。

聖人不病、以其病病。是以不病。

 

私が書き下し文にすると

 

知らずを知るは上。知を知らずは病。それ病をただ病とするは、これ以って病ならず。聖人病ならざるは、其の病を以って病とするなり。これを以って病ならず。

 

私が現代日本語にすると

 

何を知らないのか分かっていれば上等だ。智慧について知っていないことは病気だ。が、病気である事を病気であると分かっていれば病気ではない。聖人が病気にならないのは、自分の病気を病気として扱うからだ。そうしていれば本物の病気には陥らなくてすむ。

 

ということになります。

 

この見方からすると、分からなかった宿題を分かったことにするのは、心の病に落ち込む道だということです。

 

宿題に取り組む意味は

 

  1. 分かっていなかったことは分かっていなかったと自覚すること
  2. 少し調べたり考えて分かったことは、分かったこととして自覚すること
  3. まだ分からないことは分からないこととして自覚すること

 

でしょう。上の「分かる・分からない」は「出来る・出来ない」に置き換えてもまた有効です。

 

できなかったこと、分からなかったこと、できないこと、分からないことをありのままに自覚することが宿題をする意味だと、私は思います。

 

だから宿題の取り組んで、正解である必要はどこにも無いのです。間違えたら「間違えた」と思いながらバッテンをつければいいのです。そして少しは分かって賢くなったり、やっぱり分からないと思って賢くなることが、宿題をして賢くなるということなのです。