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ていねいにスラスラと

おかだ式計算プリントシステムの開発者のつぶやき

言霊

 私は言霊についていろいろと語る人が好きになれません。

 この世界を動かしている不思議な力(スターウォーズの世界で言えばフォースのような)があることは実感しています。その不思議が言葉にこもっているとは感じられないのです。

 

「赤」とは何かで考える


 たとえば、私は赤緑色弱ですが、私なりの「赤」があります。検査を受けると原色の赤と緑ならはっきりと区別がつくのですが、微妙な色合いになるとだんだん区別がつきにくいのだそうです。

 でも、信号の色も見分けがつくので運転免許証も持っています。位置ではなく色で赤信号と青信号の区別もつきます。

 色の専門家に聞くと、実は正常な人どうしても色に対する感覚は微妙に違うのだそうです。また訓練すると色の見え方はどんどん細やかに発達していくそうです。西陣織の職人さんにも赤緑色弱の人がいて、すばらしい作品を作られているとか。

 色を感じるところに障害があっても、訓練しだいでは色を使う仕事が出来ることもあるということです。

 

あなたと私の「赤」は違う


 ともあれ、あなたがいわゆる正常であれば、同じ赤い布を見ても、私が見ている赤は、あなたには絶対分からないのです。

 でもお話の上で「赤」と言えば確実に伝わるものがありますよね。私にとっての赤とあなたにとっての赤は明らかに違うのに、赤と言えば分かり合えることがある。これが不思議だと、私は思うのです。

 私の中の赤ともあなたの中の赤とも違う赤がこの世界には先にあったとしか考えられません。そしてもっと不思議なことは、この世界の中に本当の「赤」はないことです。

 たとえば日本工業規格(JIS規格)でも赤には23種類あります。 それの間にもいろいろな赤があるでしょう。絵の具を混ぜて作ったとしても、一本の赤いバラの色をすべて表現することは無理でしょう。

 そうです。この世界にある赤は、みんな個別に違う赤であり、その赤はあなたの心の中にある赤とも私の心の中にある赤とも違っていて、それでいながらその全てがみんな「赤」なのです。そして言葉の「赤」が表すような「本当の赤」はそのどれでもないのです。

 

言葉と世界の不思議


 私自身の実感で言えば、「赤」という言葉がなくても、私は「赤」を感じることは出来ます。ですから「赤」という言葉が出来る前に「赤」は確かにこの世界にあり、私はその「赤」を感じ取ることが出来るように出来ています。

 

 それなのに、この世界のどこを探しても「本当の赤」はないのです。それにもかかわらず「赤」という文字と音とつながった言葉があれば、あなたと私の間で「赤」を共有することが出来る。それもこの世界の不思議の一部分だとしか、私には考えられません。

 

  言葉という存在も確かに不思議ではありますが、本当に驚くべきは言葉の「赤」ではなく、「赤」とという存在その ものが私とあなたの外に確かにあるのにこの世界のどこにもないこと。そしてその「赤」を私とあなたが確かに実感できること。そんな風に出来ているこの世界の方だ、と私は思うのです。

 そんなわけで、まさに広大無辺の世界の不思議の中で、あえて「言霊」などと言いたてて、ことさら言葉の不思議を強調することに、私は強い違和感があるのです。