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ていねいにスラスラと

おかだ式計算プリントシステムの開発者のつぶやき

ひとこと言えば 誰かが傷つくかもしれません

日テレドラマは中止すべきなのか (2)


  … 昨日の記事 の続きです


三重県にいたころに
児童自立支援施設=国児学園で
子どもたちの学習支援のお手伝いを
させていただいたことがあります

児童自立支援施設とは
犯罪を犯した過去があったり
犯罪を犯しそうだと
児童相談所家庭裁判所
判断した子どもたちが
送られる施設です

当時の園長先生とは
個人的なおつきあいがあって
施設の子どもたちの様子については
お話をうかがったこともありました

でも
実際に子どもたちと接して受けた印象は
私の予想とは大きく違っていました

たとえば彼らに出会う前は
「子どもたちの学力はそれほど高くはないだろう」
と思っていました

実際に
ひらがなは何とかかけるけれども
学校の勉強には向いていないだろう
と言うしかないような子どももいましたが
一方で
ものすごく理解力が高い子どもたちもいたのです


2年半ほどの間
ほぼ毎週国児学園に通い
子どもたちとはもちろん
先生方ともいろいろ語り合いました

私の中では
国児学園にいた子どもたちと
普通に学校に通っている子どもたちとは
何の違いもありません

ただたまたま
家庭や周囲の状況によって
犯罪に近づいてしまっただけ
というのが実感です


それでも私に見えていた
国児学園は
国児学園の先生方にとっての
国児学園とは
かなり違うものだと思っています

算数・数学だけで付き合っていた私と
朝から晩まで子どもたちと生活を共にしていた
国児学園の先生とは
関わり方がぜんぜん違うからです

また
国児学園の先生方にとっての国児学園と
国児学園の子どもたちにとっての国児学園もまた
かなり違うものだと思います

管理される側にいた子どもたちと
彼らが問題を起こすことを前提にして
管理する側にいた先生方なのですから


ところで
私がこんなことを書くと
読んでくださった皆さんの頭の中に

国児学園の子どもたちが
浮かんできたのではないでしょうか?

でもそれは
私の心の中にある子どもたちとは
かなり違っていることでしょう

もちろん今の国児学園の現実とも
まったく違うはずです


「明日ママがいない」に限らず
ドラマというものは
現実のせいぜい一部を切り取った
作家なり脚本家の心の中のイメージを元にして
組み立てられたものです

それを見て出来上がるイメージは
見る人によって
さらに違っていきます

学校などで
ただ一つの正解を
覚えこむことが学ぶことだと
思い込んでしまうと
テレビや小説のようなフィクションでも
そのまま真実であるかのように
思い込んでしまう人も
いるかもしれません

しかし
テレビドラマはもちろん
ニュースや新聞記事であっても
伝える側にいる個人や集団が
極めて特殊な意見や考え方で
まとめたものに過ぎません

首相の見解でも
専門家の見解でも
同じことです

人によるあらゆる表現は
事実ではなく意見なのです


自分が直接感じ取れたり
調べられたりする事実と照らし合わせて
本当なのかウソなのか
を見極めようとすること

さらには多くの場合
どちらとも言えないことを
大前提にしていないと
人は簡単に間違えてしまうものです


かくいう私も
ついつい人の話を
鵜呑みにしてしまうことが
少なくありません


だからと言って
「正しくないドラマ」や
「正しくない意見」を
封じ込めることでは
何も解決はしないでしょう


明らかに変な意見であっても

 私とは違うから間違っている

と切り捨てるのは間違いです


少なくとも私は
他人が不快になることを言ってはいけない
などと言われてしまったら
何も言えなくなってしまいます



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