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ていねいにスラスラと

おかだ式計算プリントシステムの開発者のつぶやき

学習と勉強はかなり違うことだと思うのです

   〜 「勉強」と「学習」は同じではありません 〜 その2




昨日の記事では
「勉強」の意味は
 
  好ましくないことに
  出会わないように
  無理に力を入れさせてでも
  がんばらせる

といものだろう
と書きました


中学生なら

  まともな仕事につけるように
  まずは高校入試を突破するために
  5教科の内容を覚えるため
  好きではなくても力をいれて
  問題集を解く

こと

中学受験生なら

  高校受験をしなくてもいいように
  本当は遊んだりスポーツがしたくても
  4年生から毎週4日も進学塾に通い
  学校で習わないことも覚えて
  日曜日にはテストを受ける生活を
  六年生まで続ける

ことが「勉強」なのでしょう

言い換えれば

  あとで困らないように
  やるべきこととされていることは
  嫌でもやること

が「勉強」だろうと思うのです


それはそれで大事なことですが
そうだとすれば
「勉強」と「学習」とは
かなり違うことではないか
と私は考えています



「学習」の語源は
おそらく論語の冒頭の

  学而時習之
  不亦説乎

でしょう

高校の漢文の授業などでは

  学びて時に之を習う
  また説(よろこ)ばしからずや

と読み下し
現代語訳として

  教えられたことを受け入れて
  そのたびごとにそれについて
  復習して身に付ける

  なんと喜ばしいことではないか

などとやります


私も高校生の頃は

  フーン
  そんなものか

と思っていたのですが
よくよく読んでみると変です

今の日本の国語辞典や漢和辞典を読むと
「学」も「習」も
先生のマネをして自分のものにする
といった意味なのです
普通の解釈でも良さそうですが
論語が書かれたのは2500年ほど前で
元の漢文を見れば
「学」と「習」が
別の意味であることは
間違いありません


ところが
「教えられたこと」を「復習する」
と解釈するとどちらも
「まねをして身につける」
ということですから
なんか変です

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