ていねいにスラスラと

おかだ式計算プリントシステムの開発者のつぶやき

論語に学ぶ「学習」(1)

 学習の語源は、論語にあります。

 中国語では次のようになります。

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 子曰、學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。

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 高校では、たとえば次のように読み下します。

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 子曰く、学びて時に之を習えば、また説ばしからずや。
 朋有り、遠方より来たり、また楽しからずや。
 人知らずして慍(いか)らず。また君子ならずや、と。

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 それを日本語に訳すと、普通は次のようになります。

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先生はおっしゃいました。
「教えられたことを受け入れて、
そのたび毎に復習して身につける。
なんと喜ばしいことではないか。
遠くから同門の学友がやって来る。
なんと楽しいことではないか。
人が自分を認めてくれなくても
不満を持たない
なんと君子らしいことではないか。」
と。


簡単に言えば

「よい子にしていると、友達がやってきて、楽しいよ。
 不平不満を言わないと立派だね」

なんて感じになって、面白くもなんともありません。
というわけで、私は高校の頃、漢文が好きになれませんでした。


それが、安富歩さん(東大教授)の「生きるための論語」を読んで、
孔子のイメージが変わりました。

高校の授業で習ったときは「もっともらしいことを言う固い人」でしたが、
「深いことを語る、文字通り尊敬できる人」になったのです。