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ていねいにスラスラと

おかだ式計算プリントシステムの開発者のつぶやき

あいさつから心を込めたいものだ

ぼくはコンビニなどの店員さんの「いらっしゃいませ」に代表されるあいさつが、好きにはなれない。人間扱いされていない気がするからだ。

ここのコンビニの店員さんが好きになれないわけではない。マニュアル通りにあいさつされていることは百も承知なので、店員さんを責める気もまったくない。

それでも好きにはなれない。

自動ドアが開くと、こちらを見ることもなく「こんにちわ、いらっしゃいませ」と声だけが飛んでくる。心が伝わってくることは極まれにしかない。

少なくともあいさつするなら、こっちを向いて目があってからにして欲しい。お互いにお互いの存在を確かめてからの方が、ぼくは気持ちがいい。

学校の授業や、お芝居でも同じことが言える。私の仕事は個人指導だが、一対一でも同じことだ。

もっと言うと、お互いにその存在を確かめあってはいても、心が通じないままのやり取りが進んでいることもある。やり取りの形を取ってはいても、中身がともなってはいないのだ。

昨日の記事で書いた「足跡姫」の劇場がまさに心のやり取りがない情報交換の場だった。

それは別にお芝居や映画や一斉授業に限ったことではなく、二人の会話でも日常的に起こっている。

すぐそばにいる人同士でも、心を通わさないでやり取りすることは少なくない。

もっとも、そんな風に心を閉ざす技術がなければ、満員電車に乗ったり、居酒屋で食べたり飲んだりすることは出来ないのではあるが。